2024/04/19

2024年の桜の記憶補遺

 桜の思い出写真を追加して、過ぎゆく春を惜しむ朝 


 日中の気温は20℃を超えることがすでに普通になり、夏日がやってきた地方もある日本列島4月下旬、もう春は過ぎてしまったのだろうか。
 朝起きてスマホの写真などを眺めていたら、先日投稿した記事以降に撮影した桜の写真などあり、過ぎゆく春を惜しんだ。
 また先週、学生時代のクラブの同期達と会食をする機会があり、皇居近くまで出向いたので、太平記に出てくる楠木正成像にご挨拶に行き、桜も満開だったのでその様子なども写真に記録したので、併せて整理しようと思う。

 白岡市役所の敷地内に咲く桜は、今年も見事に咲き誇り、市役所を訪れる人は、ほぼ例外なく写真を撮ってゆく。私は市役所の隣にある図書館に用があったので、ついでに写真を撮ったのだった。

白岡市役所の桜遠景

桜並木の横は遊歩道
桜の下でシートを広げて花見をする人もいる

白岡図書館横の桜も満開
令和6年(2024)4月10日撮影

 4月11日、友人達との会食のため東京駅まで行ったので、その前に皇居外苑まで足を伸ばして、楠公像にご挨拶に向かった。

皇居外苑地図

 皇居外苑には意外にもあまり桜の木がなく、あってもまだ若い木だったりする。
 それでも楠公像の近くには一本桜が咲いていて春の雰囲気を醸し出していた。

楠公像全景

楠公像近くの桜
売店はお休み、桜は満開を過ぎて葉桜になっていた

夕陽に向かう楠公像

 会食の会場となったところからは、皇居外苑が一望できたので、畏れ多いことながら記念に一枚撮影したのだった。


 ほぼ50年ぶりに会った人もいた楽しい会食を終えて、東京駅から上野東京ラインで帰ったのだが、東京駅周囲の光が煌々と眩しいほどだったのが印象的だった。

東京駅夜景
平日の夜は意外に人も少なく、落ち着いた雰囲気だ

2024/04/08

白岡市の桜満開

 晴れた日曜日、満開の桜を訪ねて市内近郊サイクリング


 2024年4月7日日曜日、久しぶりに晴れた青空の下、ちょうど地元でも桜が満開となってきたので、午後のひととき、自転車に乗って桜の写真を撮りに出かけた。
 久しぶりのサイクリングは、午前中にNetflixで見られるようになった「すずめの戸締まり」を観て楽しみ、主人公が自転車に乗って行く場面が印象的だったのに刺激を受けたせいかも。実はその後、Amazon Prime Videoで「君の名は」も観ていて、やはり主人公が山道を自転車で走る印象的な場面があったこともあり。
 日本のアニメに自転車は欠かせない小道具、というか田舎の生活には自転車が必須アイテム、ということでサイクリングにGO!

 最初はすぐ近くの白岡市勤労者体育館横の桜。
 ここの桜は二、三年前までは大ぶりの枝が伸びていたのだが、虫害にあったのか、いつのまにか枝を切られて少々痛々しい姿。それでも残ったところで精一杯春を主張しており、それはそれで生命力を感じて綺麗だ。

白岡市勤労者体育館横の桜

少し自転車を漕いで行くと、篠津小学校がある。

白岡市立篠津小学校の桜
向こうに篠津小の学童のプレハブ施設が見える。

 桜だけではなく、菜の花も今が盛りと咲いている。
 日本の田舎は菜の花が定番、韓国なら今頃であれば、やはり黄色い「ケナリ」(れんぎょう)だろうな、などと思ったり。

篠津小第二運動場横の菜の花
サイクリングの時はママチャリではありません

 次に向かったのは白岡神社近くの八幡公園。
 土曜日にたまたま近くを車で通った時、満開の桜が咲き誇っていることに気づいた。

白岡市八幡公園

日曜日なので父親のいる親子連れが多かった

 公園を後にして、次は蓮田市のカインズホームに向かう。その駐車場にも満開の桜があるのだ。
 途中、元荒川に係る橋からも桜を楽しむことができた。この元荒川沿いの満開桜が今日のベストショットかも。
 この辺りは白岡市だが、少し行くと蓮田市になる。

元荒川の桜

東北新幹線の高架橋が通る

 そして自転車で20分ほどのところにあるカインズホームに到着。
 駐車場の桜を写して、帰りの途に着いた。

カインズホームの桜

 帰り路、白岡神社にある枝垂れ桜に気づいて写真を撮った。

白岡八幡神社の枝垂れ桜

 これで4月7日の桜サイクリングは終了。
 桜を愛でながらのサイクリングは、足掛け2時間ほどになった。
 白岡は、他にも市役所の桜、白岡工業団地内の桜並木が綺麗で、少し足を伸ばせば、幸手権現堂の有名な桜並木もある。
 天気が良ければ、また出かけてみようかな、と思うのだった。

2024/04/05

太平記を読む

 新年度を迎え、桜満開、新しいことが始まる季節


 今年は関東の桜が咲くのが約二週間も遅れたそうで、ようやく4月4日に満開宣言がなされた。それならば、例年は三月下旬にはすでに満開だったということになるのだが、どうも記憶がはっきりしない。まあ、多少変動があって自然なのだと思えば、大したことでもない。今年も咲いてくれてありがとう、と言いたい気持ち。

 最近テレビのBS4Kで放映されている「新日本風土記」やら「よみがえる新日本風土記」を録画設定していて、時々気が向くと見ている。特によみがえる・・・の方は、50年ほど前に放映された内容が、とても綺麗な映像で見られるようになっていて、自分の記憶が掘り起こされてくるような感覚もあって妙に感動する。
 最近の新日本風土記の方は、もちろん現在の各地の諸相が切り取られているので、これはこれで見応えがあって面白い。
 いずれも綺麗な映像データとして、後世まで語り継がれ残っていくのだろうな、と思うと、感慨深いものがある。

 最近はAI技術の発展によって、現実ではない映像までそれらしく創ってしまうことができるので、その映像が現実の本物かどうかについて、何か確認をする仕組みを作り込んでおかないと、後世の人々が歴史的大誤解をしかねない、というのが少々懸念される。
 けれど、そういうことは、後世の人々が議論する楽しみにもなるのだろうから、まあ、なるようになればいいか、などと思ったりもする。

 最近読んでいる「太平記」も、史実に忠実なところもあれば、誇張されていたり創作された部分があると言われていて、その判断については諸説あって面白そうなのだが、深入りできるほどの知識もなく、ふ〜ん、と呟くだけ(笑)
 私的には「太平記」を読む気になったことの方に意味がある。

 第二次大戦以前と以後とで、日本人の常識が大きく変化したというか、変化させられたというべきか。占領軍GHQの徹底した「焚書」によって、それまで当たり前に読まれていた本が姿を消し、読めなくなったことによって、文化的基盤の様相が大きく影響を受けたことは想像に難くない。「焚書」の対象にはならなくとも、そのような社会的雰囲気の中で、昔は普通に読まれていたものが読まれなくなってしまった例も多いに違いないのだが「太平記」もそんな本の一つと思われる。

現代語訳の「太平記」はいろいろある
埼玉県立久喜図書館で借りた本の表紙


 (現代語訳を)読んでみれば、予想に反して、登場人物たちが折に触れて詠む短歌が随所に散りばめられていたりして、臨場感、情感に溢れた面白い読み物。こういう形式の書き方っていいな〜、などと感心したりする。もう一つ気づくのは、いかにも登場人物たちの生死感の潔いことで、自らの進退が極まった時に、ジタバタせずに辞世の歌をしたためるその所作の立派なこと。
 なんだろうな〜、この印象は?と少し考えてみたら、昔、新渡戸稲造の「武士道」を読んだ時にも感じた印象に似ていると思った。

 昔の人は若くして命を落とすこと多く、それが幼い時から身の回りで常に起こっていることだったので、生活の中ですでに達観してしまうだろうし、「恥」をかくことを強く恐れる社会風土の中で培われた「潔さの美学」が身だしなみとして身についていたのかな、などと思われた。
 それにしても、では辞世を一句、とはならない現代人に比べ、なんとなく教養のレベルが違うな〜などと感じてしまう。

 ということで、今年は古き良き日本文化を求めて、いろいろな古典文学に親しもう!と思いを新たにするのだった。