歴史の真実は、世の通説と少々異なるところに埋もれているかも
(世の通説は、マスコミによって意図的に作り上げられるかも)
これは、この本を読んで目から鱗が落ちた、率直な感想です。
私の持っている常識としては、戦後における日本のロケット開発は糸川英夫のペンシルロケットに始まる、というのが頭にこびりついていたのだった。いわゆる「日本のロケット開発の父は糸川英夫だ」という伝説だ。念の為、理科系の友人達数人にも聞いてみたが、異口同音に「糸川英夫」という答え。
しかし、これはこの本にも少し書かれているが、当事者たちの宣伝と、それに乗ったマスメディアによって作りあげられたイメージで、じっくり考えてみれば、そんな単純な話ではないことが分かるのだが、一度刷り込まれると、なかなか改めるのは難しい。
重要なポイントは次のようにまとめられる。
1.固体燃料ロケットと液体燃料ロケットは技術的内容や難易度が大きく異なり、言うなれば子供と大人の違いと言って良い。したがって糸川の当時の東大グループが手がけた固体燃料ロケットと、現在、日本のロケットの中核を担う液体燃料のHロケット(Hinomaruロケット)は、ルーツや開発経緯が全く異なっている。それぞれの仕事に携わった技術者も基本的に別人だ。
2.固体燃料ロケット、液体燃料ロケット、いずれもすでに戦時中から研究されており、その技術を使った兵器はすでに実用化、または実用化寸前まで完成していた。
ペンシルロケットは、研究・実験用に作られてはいるが、それに用いられているロケット技術は、当時すでに実用化されていたバズーカ砲と共通するもので、日本でも1944年、この技術を用いて「四式二十糎(センチ)噴進砲」が実用化され、硫黄島や沖縄戦で実際に使われている。噴進砲というのは、ロケット砲というところ、いわゆる「敵性語」をきらって命名された言葉だ。
3.液体燃料ロケットの開発過程では、アメリカからの圧力も受けている。
紆余曲折を経て、主要部品は純国産と言って良いH-IIが1990年代半ば、人工衛星を打ち上げようという頃、米国は包括貿易法「スーパー301条」を持ち出してきて、日本の人工衛星について、公開入札できるよう日本政府に圧力をかけた。日本政府はこれを受け入れたため、当初H-IIでの打ち上げを予定したものが、価格では圧倒的に安い米国製ロケットを利用して打ち上げることになったりしたため、日本のロケットが経験を積む機会を奪われた。
見方を変えれば、日本のロケット技術が米国と肩を並べるようになることを米国が恐れたと言えるのかもしれない。
もっとも、H-IIの後継機H-IIAは2001年以降最近まで、高い信頼性と低コストで、多様な人工衛星や探査機の打ち上げを行なっており、すでに国際的に認められるようになったことは大変喜ばしいことだ。
時代はさらに進み、今やH3ロケットが打ち上げられるようになった。今年の2月に試験2号機が無事に打ち上げられたのは記憶に新しい。
さて日本のロケット開発の歴史について、従来の糸川伝説とは異なる視点から書かれたこの本は、とても面白く読めたのだが、技術者ではなく、その奥様が書かれたためか、いくつか正確ではない記述があるのは残念だ。それでも従来の思い込みをぶち破ってくれた点は大いに評価されるべきと思った。
