2024/11/18

東郷神社、ヨックモック、岡本太郎記念館

2024年11月4日(月)振替休日
天気:白岡は晴れ
気温:9.3℃(6:30現在、肌寒い、ウェザーニュースによる)

南の空にはオリオン座、シリウス、木星、火星が輝く、初冬の朝


 つい先日まで「暑い、暑い」と言っていたのが、このところ一気に冷えてきて、着実に季節が移ろうことに、妙に安心したりする。
 久しぶりに明け方の空を眺めると、冬の星座オリオン、そして冬の大三角形をなすベテルギウス、シリウス、プロキオンが明るく光り、そして近くに今は木星と火星が輝いている。
 あ〜、まもなく今年も冬だな、オリオン座を観ると湧く思い。

 さて、冬を本格的に迎える前に、例年なら近郊の山に紅葉狩りに出かけるところなのだが、コロナ禍以降しばらくトレック同行会の活動が息を潜めていたこともあり、10月下旬に、まずは足ならしとばかり、都内ウォーキングに出かけた。

 NHKで2009年〜2011年に渡って放映された「坂の上の雲」が、ちょうどこの10月になって再放送が始まっていたこともあり、それでは「東郷神社」に参ろうか、ということで行程を考えた。
 調整の結果、久々の同行会ウォーキングは、10月20日(日)、JR山手線原宿駅竹下口に9時集合となった。

 東郷神社は竹下口から歩いて5分のところにある。原宿駅といえば明治天皇を祀る明治神宮だが、その近くに日本海海戦でバルチック艦隊を撃破し、日露戦争を勝利に導いた東郷元帥を祀る神社があるのも意義深い。

東郷神社の入り口にて記念撮影
メンバーは美男美女ばかりですが、顔はぼかしました、許してね^^

東郷神社境内の案内図 
神社のシンボルがなんと「Z旗」!

 神社の中は人もまばらで、静寂に包まれていた。
 本殿の横壁にZ旗が貼られていたのは少々意外だったが、東郷神社らしい。境内は撮影禁止なので、ご覧になりたい方は神社に直接ご参詣ください。

 東郷神社に参詣後、歩いて千代田線の表参道駅方面まで歩く。
 途中にビルの4階あたりにあるくら寿司を見つけ、つい写真を撮る。田舎に暮らしていると、ビルの中にある回転寿司というのが面白く感じてしまう。

 原宿駅近くのくら寿司
郊外だけにあるかと思っていました^^;

  東郷神社の次の目標はくら寿司ではなく、千代田線表参道駅近く、都道413号沿いにあるヨックモック青山本店だ。ヨックモックといえば有名なシガールという焼き菓子があるが、青山本店には知る人ぞ知る有名なブルー・ブリック・ラウンジというカフェレストランがある。同行会のメンバーがちょうどそこの優待チケットを持っておられたので、そこで少し早めの昼食を、ということになっていたのだった。
 表参道から都道413号を歩いていくと、色々と目を引く建物・展示物があって、退屈しない。山道を歩くのも楽しいが、都心をおしゃべりしながら歩くのも、それに劣らず面白いと改めて感じる。

ヨックモック青山本店前にて
美味しい昼食をいただいて満たされた笑顔の面々✨

 お腹も満たされて、次に向かったのは根津美術館。この美術館は東武鉄道の社長などを務めた、初代根津嘉一郎が収集した日本や東洋の古美術品が中心で、国宝7件、重要文化財87件がある日本屈指のコレクションだ。
 ただ、思ったより美術館の規模が大きく、時間が予定よりもかかりそうであったので、根津美術館はいずれまたの機会にしましょうと意見がまとまり、ここは入り口で雰囲気を感じただけで通過することとなった。

 根津美術館の次は、すぐ近くにある岡本太郎記念館。
 「芸術は爆発だ!」の名言で有名だが、それ以上に同行会参加者の男性陣にとっては、1970年大阪万博のシンボル・太陽の塔の作者というイメージが強い。
 岡本太郎記念館は住宅が立ち並ぶエリアの一角に、ひっそりとした佇まいであったが、庭木が鬱蒼と生い茂り、独特の雰囲気が漂っていた。

岡本太郎記念館にて
うっかりしていると横を素通りしてしまいそう

 岡本太郎記念館ではちょうど「ヤノベケンジ:太郎と猫と太陽と」企画展が開催されていて、芸術爆発ならぬ「猫大爆発」の面白い内容を観ることができた。最初、岡本太郎は猫大好きだったのか!と思ったのだが、これは誤解で、あくまでヤノバケンジ氏の企画したものだ。それでも岡本太郎の他の作品と、妙に馴染んでいて、違和感の全くなかったのが不思議といえば不思議だった。

 太陽の塔と猫の宇宙飛行士(?)達
太陽の塔、実は猫を運ぶ宇宙船だった?

岡本太郎のアトリエ
今回2階に、目立たないが、猫が置いてある

 9時に集合してから岡本太郎記念館まで、約1万歩の都内ウォーキングを楽しく終えて、帰りは渋谷まで歩いて解散となった。現在は神奈川で田舎暮らしをしているS氏は、渋谷ヒカリエを見て、「オオーッ、これがあのヒカリエか!」といたく感動されたとか(笑)
 たまには都会に出てくるのもいいもんだ、と再確認した。

(注)この記事11/4に書き始め、11/18に投稿しました。

2024/10/14

「日本のロケット 真実の軌跡」

 先日、白岡図書館でぶらぶら本を眺めていたら、「日本のロケット 真実の軌跡」(宮川輝子著、2013、白順社)というのがあり、パラパラ読んでみると、おや?これは知らなかったなぁ〜、確かにそうかも!ということが書いてあるので、借りてみた。


 歴史の真実は、世の通説と少々異なるところに埋もれているかも

(世の通説は、マスコミによって意図的に作り上げられるかも)

 これは、この本を読んで目から鱗が落ちた、率直な感想です。

 私の持っている常識としては、戦後における日本のロケット開発は糸川英夫のペンシルロケットに始まる、というのが頭にこびりついていたのだった。いわゆる「日本のロケット開発の父は糸川英夫だ」という伝説だ。念の為、理科系の友人達数人にも聞いてみたが、異口同音に「糸川英夫」という答え。
 しかし、これはこの本にも少し書かれているが、当事者たちの宣伝と、それに乗ったマスメディアによって作りあげられたイメージで、じっくり考えてみれば、そんな単純な話ではないことが分かるのだが、一度刷り込まれると、なかなか改めるのは難しい。

 重要なポイントは次のようにまとめられる。
1.固体燃料ロケットと液体燃料ロケットは技術的内容や難易度が大きく異なり、言うなれば子供と大人の違いと言って良い。したがって糸川の当時の東大グループが手がけた固体燃料ロケットと、現在、日本のロケットの中核を担う液体燃料のHロケット(Hinomaruロケット)は、ルーツや開発経緯が全く異なっている。それぞれの仕事に携わった技術者も基本的に別人だ。

2.固体燃料ロケット、液体燃料ロケット、いずれもすでに戦時中から研究されており、その技術を使った兵器はすでに実用化、または実用化寸前まで完成していた。
 ペンシルロケットは、研究・実験用に作られてはいるが、それに用いられているロケット技術は、当時すでに実用化されていたバズーカ砲と共通するもので、日本でも1944年、この技術を用いて「四式二十糎(センチ)噴進砲」が実用化され、硫黄島や沖縄戦で実際に使われている。噴進砲というのは、ロケット砲というところ、いわゆる「敵性語」をきらって命名された言葉だ。

3.液体燃料ロケットの開発過程では、アメリカからの圧力も受けている。
 紆余曲折を経て、主要部品は純国産と言って良いH-IIが1990年代半ば、人工衛星を打ち上げようという頃、米国は包括貿易法「スーパー301条」を持ち出してきて、日本の人工衛星について、公開入札できるよう日本政府に圧力をかけた。日本政府はこれを受け入れたため、当初H-IIでの打ち上げを予定したものが、価格では圧倒的に安い米国製ロケットを利用して打ち上げることになったりしたため、日本のロケットが経験を積む機会を奪われた。
 見方を変えれば、日本のロケット技術が米国と肩を並べるようになることを米国が恐れたと言えるのかもしれない。
 もっとも、H-IIの後継機H-IIAは2001年以降最近まで、高い信頼性と低コストで、多様な人工衛星や探査機の打ち上げを行なっており、すでに国際的に認められるようになったことは大変喜ばしいことだ。
 時代はさらに進み、今やH3ロケットが打ち上げられるようになった。今年の2月に試験2号機が無事に打ち上げられたのは記憶に新しい。

 さて日本のロケット開発の歴史について、従来の糸川伝説とは異なる視点から書かれたこの本は、とても面白く読めたのだが、技術者ではなく、その奥様が書かれたためか、いくつか正確ではない記述があるのは残念だ。それでも従来の思い込みをぶち破ってくれた点は大いに評価されるべきと思った。

2024/09/20

特急こだま、の時代

おはようございます。
今朝の白岡は曇り。
気温25℃。

 9月も下旬となる朝、最高気温36℃の予報にため息つく


 今年の暑さは異常で、9月18日、気象観測史上最も遅い(東京での)猛暑日の記録を82年ぶりに塗り替えたという。そして今日もまた新記録を更新予定だ^^;
 今までの記録が1942年9月12日だった、というのは少々意外で、昔といえども暑い時は暑かったんだな〜と思ったのだが、それにしても、中秋の名月を越えてなお猛暑日が続く、というのはもうそろそろ勘弁してほしい。

 さて、連日暑さが続くおかげで、日中外出する気にもなれず、家にこもってついつい映画などを観るのが生活パターンになってしまったのだが、ネットの時代の恩恵、動画(映画)配信サービスで、好きな時に好きなものを選んで観られるのはありがたい。

 最近は古い映画も、東宝名画座などのサブスクで観ることができる。昭和の香りが溢れてくる名画の数々、懐かしさを通り越して、むしろ新鮮に思えたりもする。
 懐かしさについて言えば、特に感じるのは、映画のストーリーもさることながら、画面に映し込まれた市井の風景だ。映画が撮影されたその当時の街並みや、行き交う自動車、路面電車、人々の服装など、ただただ見惚れてしまう。

 先日見たのは「特急にっぽん」というフランキー堺主演のコメディー映画で、特急こだまの車内が舞台のドタバタ喜劇なのだが、1961年製作の映画なので、新幹線の「こだま」ではなく、東海道線を走る「こだま」というのがミソ。
 東京ー大阪が新幹線ができる前は、特急こだまで6時間半かかった、というのはもう多くの人は知らないことだろうが、そういうことを知っている世代にとっては、もう懐かしくて涙が出そうになるくらい(笑)
 昔のこだまは、よく見ると今よりも顧客サービスが良い場面(食堂車)もあり、「ああ、こいう時代もあったな〜、良かったな〜」などと思ったり。
 関連して、私自身の中学校の修学旅行は、修学旅行専用列車「こまどり」に乗って名古屋〜東京を往復したのだが、ちょうどこの映画で描かれた時代に重なり、車内にスピードメーターが表示されていて、「あっ今時速百キロを越えた!」などとはしゃいでいた記憶が蘇った。


 しばらくはまっていた若大将シリーズもそうだが、古い映画の楽しみは、背景に発見する当時の市井の風景と、それによって呼び起こされてくる自分の記憶だな〜と、しみじみ思うのだった。

2024/08/12

古き良き若大将

 若大将シリーズを堪能しているオリンピックの夏



 パリオリンピックも今日がついに閉会式。
 開会式から何かと問題の多い大会で、誤審ピックと揶揄されるほど不可解な判定がいくつもあったりしたが、日本チームは海外での大会では過去最高の、金メダルが20個という実績をあげた。
 もっとも金メダルの内訳を見ると、レスリングで大量8個、柔道で3個、体操で3個、スケートボードで2個など、スポーツの世界ではメジャーとは言い難い種目に偏っている感は否めない。それでも、フェンシングというヨーロッパの伝統的種目で金メダルを獲得したのは実に快挙で、素直に喜びたい。
 フェンシングで柔道の仇をうつパリオリンピックかな、😁

 さて、連日のオリンピック中継にも少々飽きてきた頃、Amazon Prime Videoで、東宝名画座の無料体験2週間というのが目につき、往年の名作が揃っているようでもあり、こいつはいいやと見始めた。黒澤明の「七人の侍」やら「隠し砦の三悪人」などが無料で観られるチャンス到来!と思ったわけだ。特に「隠し砦の三悪人」に出てくる雪姫役の上原美佐という女優さんが、福岡の親戚のお母さんの高校の先輩で、ある日学校に遅刻しそうになって、走っていたら、一緒に走っている上原美佐さんがいて、その美しさに見惚れた、という逸話を聞いていたので、どんな女優さんかなという関心も湧いていたのであった。

 東宝名画座では、名作をいくつも観ることができる。上記の2作品以外にも、姿三四郎、椿三十郎、赤ひげ、生きる、野良犬、天国と地獄、どん底、などなど懐かしい黒澤明の白黒映画が目白押しだ。しかも三船敏郎、仲代達也、志村喬などの名俳優が、なんとも若々しい姿で溌剌とした演技をするので、嬉しくなってついつい観てしまう。白黒映画といえども、今のSFX全盛の映画にも全く引けを取らない魅せる力が篭っている。
 東宝名画座では加山雄三の若大将シリーズも一通り揃っているようで、懐かしさのあまりこちらも観ることにして、あっという間に無料期間が過ぎ、一ヶ月390円という安さもあって、有料で視聴を継続することにしたのだった。

 加山雄三の若大将シリーズといえば、青大将の田中邦衛も忘れがたく、若大将と青大将に星由里子などの演ずるマドンナが絡む、毎回同じパターンの作品なのだが、それ故にというべきか、安心して楽しめる娯楽作品になっている。
 ちょうど私が中学生の頃、「君といつまでも」が大ヒットしたこともあり、卒業式の後の謝恩会で、友人達と三人で加山心臓、肝臓、腎臓と名乗って合唱したことも懐かしく思い出した。

若大将シリーズ第六作
挿入歌「君といつまでも」が懐かしい

 若大将シリーズは、当時、映画館で一つくらいは観たと思うのだが、今回アマゾンプライムの東宝名画座で観てみると、内容は全く新鮮に感じられ、しかも明るく好印象。また背景に出てくる50〜60年近く前の大学、街並みの風景、走っている車が、なんともノスタルジックで懐かしく、すっかり虜になってしまった。
 古い映画は、登場人物だけでなく、写し込まれた背景が自分の中の記憶を呼び覚ますので、ますます面白く感じるのだろうと思う。
 若大将シリーズは、なんと17作品が作られていることを今回初めて知ったのだが、今やこれらが自宅でゆっくり好きな時に楽しめるというのは、なんという贅沢なのだろうと思う。
 オリンピックもいいけれど、若大将いいぞ〜と言いたい😁

 記憶を掻き立てる映画のイメージをいくつか貼っておきます。
 Amazon Prime Videoの東宝名画座より

記念すべき若大将シリーズ第一作
古き良き昭和が溢れている.....

黒澤明不朽の名作
荒野の七人の元ネタとしても知られる

黒澤明の名作、上原美佐デビュー作
上原美佐の凜とした初々しい演技も見どころ

2024/06/08

元寇防塁を訪ねて

 歴史的遺構に立ち、先人達の息吹を感じた日



 先日福岡の親族を訪ねた時に、元寇防塁跡を訪ねた。
 福岡は玄界灘に面しており、対馬海流が流れていて、豊富な水産物でも知られるが、個人的には何と言ってもその昔、元寇のあった地としての印象が強い。
 日本の歴史上、大陸から攻め込まれた唯一の大事件であり、日蓮の蒙古襲来警告の大予言、神風が吹いたことによる元軍の撃退など、刺激的な興味深いエピソードもあって、この元寇は日本人なら誰でも知っている(と思う)。
 神風による勝利については、あまりにも自然現象による奇跡的側面が強調され、実際に戦った武士達の実力により元軍を押し返したことが過小評価されてきたと何かで読んだ。しかしどうしても神風のイメージが強すぎて、なかなか実感する機会はなかったのだが.....
 親族の家から歩いて30分弱のところに、玄界灘に面して生(いき)の松原海岸森林公園があり、元寇防塁という、元寇に備えて、岩を積み上げて作られた、当時の防壁の遺跡があるというので、これも何かの縁、訪ねてみることにした。

 訪ねた生の松原は、弘安の役(1281年6月志賀島上陸〜)の時、(国宝)蒙古襲来絵詞に描かれる竹崎季長が、戦いに向けて出発した拠点となった場所。その時の防塁が残っているのだ。

蒙古襲来絵巻に描かれた生の松原防塁

 実際の防塁遺構はこのようになっている。

生の松原、元寇防塁
2024年5月26日撮影

元寇防塁の説明図

 図左の海側から寄せてくる敵兵を足止めし、守る側からは攻めやすく、結果的に防御しやすい構造になっていることがよく分かる。この防塁を見て、今から約800年前の先人達の知恵が偲ばれ、先人達の戦いをリアルに感じ取ることができた。

生の松原森林公園内にある元寇防塁碑(昭和6年建立)

 今回訪ねた生の松原海岸は、よく整備されていて、散策するにはもってこいの場所だ。一緒に訪ねてくださった親族の方も、「これから時々来ようかな〜」とのこと。近くに住んでいると、意外に訪ねることもなく、今回再発見されたようだ。

海岸線に沿って整備された遊歩道

 生の松原海岸は、砂浜になっているところと大きな岩が敷き詰められているところがあり、変化に富んだ面白い構成になっている。

砂浜のところで「あれは能古島(のこのしま)」
この砂浜の右方が岩を積み上げられて作られている海岸線

大きな岩が連なる海岸線
ひととき、元寇の昔に想いを馳せる...

岩が綺麗に積み上げられている海岸線
はじめ、これを防塁かと勘違いした^^;

 前方に見える能古島にはヨットハーバーがあるようで、帆柱が何本も見えた。かっての古戦場も、今は豊かな観光地として、多くの人に親しまれているようだ。
 この日の岩の海岸に寄せる波は穏やかで、平和な現在を象徴するかのようであったが、ご参考までに、その雰囲気を伝える動画をアップしておきます。

生の松原海岸に寄せる波
(3回Loopしますので、適当に止めてください)

2024/06/05

太宰府を訪ねて

 太宰府天満宮は1100年余りの歴史、多くの変遷を感じる朝


 先日、福岡の親族を訪ね、その折に太宰府天満宮、九州国立博物館を訪ねた。太宰府には学生時代の1975年春に友人達と訪ねたことがあり、思い起こせば49年ぶりの再訪だった。学生時代の旅行時に撮影した8mmフィルムの動画には、楼門の周囲の様子が撮影してあり、楼門近くの大きな樟の木に寄りかかる若かりし自分の姿があって、この樟の木にまた寄りかかってみたいものだと思った。

1975年3月、太宰府天満宮楼門と近くの樟(と私)
(8mm動画より切り出し)

1975年3月、太宰府天満宮楼門近くの樟にて
(8mm動画より切り出し)

 当時の8mm動画から切り出した画像で分かるように、楼門に行けば大きな樟の木があって.....と考えたのだったが.....??
 実際に現地に行ってみると、当時私が寄りかかった大きな樟は見当たらず、地理的な印象も49年前とはかなり変わってしまったようであった。

 一方、49年前の記憶には残っていなかった、樹齢1500年を超えると言われ、国の指定天然記念物となっている大樟の木があったので、この木で記念撮影してきた。

国指定天然記念物の太宰府天満宮大樟
なんだか49年前の樟の方が大きかったなぁ.....

 また、ちょうど今は、太宰府天満宮本殿の改修工事が行われており、本殿と楼門の間に仮殿が建てられ、そこで色々な神事が行われているようだ。仮殿の屋根には植物が生い茂っていて、何やら異世界のような感覚を覚えた。

太宰府天満宮仮殿での神事
2024年5月25日

 ところで、日本には国立の博物館が五つあるそうなのだが、皇居三の丸尚蔵館は別格として、東京国立博物館、京都国立博物館、奈良国立博物館に次いで、四つ目の国立博物館として九州国立博物館が、この太宰府天満宮の敷地に隣接して19年前の2005年に開館しているというのは興味深いことだ。
 九州国立博物館の建設に際し、太宰府天満宮が敷地の多くを寄贈しているとのこと。学問の神様を祀る神社らしいエピソードだ。

 ということで、せっかくなので天満宮から歩いていける九国にも足を運んでみた。
 途中には歩く歩道が整備されていて、楽に行けるように配慮されているのはありがたい。またカラフルな光装飾がなされて、楽しい雰囲気なのも嬉しい。

九国への道


九州国立博物館はガラス張りの綺麗な建物


九州国立博物館入り口にて
2024年5月25日

 九国には埴輪の大きな実物などが展示されていて、なかなか見応えのあるものが多かった。今回は手で触れることはできなかったが、この夏には実際に触れることができるような展示も行うようで、関心のある人にとっては楽しいことだろうなと思われた。

2024/04/19

2024年の桜の記憶補遺

 桜の思い出写真を追加して、過ぎゆく春を惜しむ朝 


 日中の気温は20℃を超えることがすでに普通になり、夏日がやってきた地方もある日本列島4月下旬、もう春は過ぎてしまったのだろうか。
 朝起きてスマホの写真などを眺めていたら、先日投稿した記事以降に撮影した桜の写真などあり、過ぎゆく春を惜しんだ。
 また先週、学生時代のクラブの同期達と会食をする機会があり、皇居近くまで出向いたので、太平記に出てくる楠木正成像にご挨拶に行き、桜も満開だったのでその様子なども写真に記録したので、併せて整理しようと思う。

 白岡市役所の敷地内に咲く桜は、今年も見事に咲き誇り、市役所を訪れる人は、ほぼ例外なく写真を撮ってゆく。私は市役所の隣にある図書館に用があったので、ついでに写真を撮ったのだった。

白岡市役所の桜遠景

桜並木の横は遊歩道
桜の下でシートを広げて花見をする人もいる

白岡図書館横の桜も満開
令和6年(2024)4月10日撮影

 4月11日、友人達との会食のため東京駅まで行ったので、その前に皇居外苑まで足を伸ばして、楠公像にご挨拶に向かった。

皇居外苑地図

 皇居外苑には意外にもあまり桜の木がなく、あってもまだ若い木だったりする。
 それでも楠公像の近くには一本桜が咲いていて春の雰囲気を醸し出していた。

楠公像全景

楠公像近くの桜
売店はお休み、桜は満開を過ぎて葉桜になっていた

夕陽に向かう楠公像

 会食の会場となったところからは、皇居外苑が一望できたので、畏れ多いことながら記念に一枚撮影したのだった。


 ほぼ50年ぶりに会った人もいた楽しい会食を終えて、東京駅から上野東京ラインで帰ったのだが、東京駅周囲の光が煌々と眩しいほどだったのが印象的だった。

東京駅夜景
平日の夜は意外に人も少なく、落ち着いた雰囲気だ

2024/04/08

白岡市の桜満開

 晴れた日曜日、満開の桜を訪ねて市内近郊サイクリング


 2024年4月7日日曜日、久しぶりに晴れた青空の下、ちょうど地元でも桜が満開となってきたので、午後のひととき、自転車に乗って桜の写真を撮りに出かけた。
 久しぶりのサイクリングは、午前中にNetflixで見られるようになった「すずめの戸締まり」を観て楽しみ、主人公が自転車に乗って行く場面が印象的だったのに刺激を受けたせいかも。実はその後、Amazon Prime Videoで「君の名は」も観ていて、やはり主人公が山道を自転車で走る印象的な場面があったこともあり。
 日本のアニメに自転車は欠かせない小道具、というか田舎の生活には自転車が必須アイテム、ということでサイクリングにGO!

 最初はすぐ近くの白岡市勤労者体育館横の桜。
 ここの桜は二、三年前までは大ぶりの枝が伸びていたのだが、虫害にあったのか、いつのまにか枝を切られて少々痛々しい姿。それでも残ったところで精一杯春を主張しており、それはそれで生命力を感じて綺麗だ。

白岡市勤労者体育館横の桜

少し自転車を漕いで行くと、篠津小学校がある。

白岡市立篠津小学校の桜
向こうに篠津小の学童のプレハブ施設が見える。

 桜だけではなく、菜の花も今が盛りと咲いている。
 日本の田舎は菜の花が定番、韓国なら今頃であれば、やはり黄色い「ケナリ」(れんぎょう)だろうな、などと思ったり。

篠津小第二運動場横の菜の花
サイクリングの時はママチャリではありません

 次に向かったのは白岡神社近くの八幡公園。
 土曜日にたまたま近くを車で通った時、満開の桜が咲き誇っていることに気づいた。

白岡市八幡公園

日曜日なので父親のいる親子連れが多かった

 公園を後にして、次は蓮田市のカインズホームに向かう。その駐車場にも満開の桜があるのだ。
 途中、元荒川に係る橋からも桜を楽しむことができた。この元荒川沿いの満開桜が今日のベストショットかも。
 この辺りは白岡市だが、少し行くと蓮田市になる。

元荒川の桜

東北新幹線の高架橋が通る

 そして自転車で20分ほどのところにあるカインズホームに到着。
 駐車場の桜を写して、帰りの途に着いた。

カインズホームの桜

 帰り路、白岡神社にある枝垂れ桜に気づいて写真を撮った。

白岡八幡神社の枝垂れ桜

 これで4月7日の桜サイクリングは終了。
 桜を愛でながらのサイクリングは、足掛け2時間ほどになった。
 白岡は、他にも市役所の桜、白岡工業団地内の桜並木が綺麗で、少し足を伸ばせば、幸手権現堂の有名な桜並木もある。
 天気が良ければ、また出かけてみようかな、と思うのだった。

2024/04/05

太平記を読む

 新年度を迎え、桜満開、新しいことが始まる季節


 今年は関東の桜が咲くのが約二週間も遅れたそうで、ようやく4月4日に満開宣言がなされた。それならば、例年は三月下旬にはすでに満開だったということになるのだが、どうも記憶がはっきりしない。まあ、多少変動があって自然なのだと思えば、大したことでもない。今年も咲いてくれてありがとう、と言いたい気持ち。

 最近テレビのBS4Kで放映されている「新日本風土記」やら「よみがえる新日本風土記」を録画設定していて、時々気が向くと見ている。特によみがえる・・・の方は、50年ほど前に放映された内容が、とても綺麗な映像で見られるようになっていて、自分の記憶が掘り起こされてくるような感覚もあって妙に感動する。
 最近の新日本風土記の方は、もちろん現在の各地の諸相が切り取られているので、これはこれで見応えがあって面白い。
 いずれも綺麗な映像データとして、後世まで語り継がれ残っていくのだろうな、と思うと、感慨深いものがある。

 最近はAI技術の発展によって、現実ではない映像までそれらしく創ってしまうことができるので、その映像が現実の本物かどうかについて、何か確認をする仕組みを作り込んでおかないと、後世の人々が歴史的大誤解をしかねない、というのが少々懸念される。
 けれど、そういうことは、後世の人々が議論する楽しみにもなるのだろうから、まあ、なるようになればいいか、などと思ったりもする。

 最近読んでいる「太平記」も、史実に忠実なところもあれば、誇張されていたり創作された部分があると言われていて、その判断については諸説あって面白そうなのだが、深入りできるほどの知識もなく、ふ〜ん、と呟くだけ(笑)
 私的には「太平記」を読む気になったことの方に意味がある。

 第二次大戦以前と以後とで、日本人の常識が大きく変化したというか、変化させられたというべきか。占領軍GHQの徹底した「焚書」によって、それまで当たり前に読まれていた本が姿を消し、読めなくなったことによって、文化的基盤の様相が大きく影響を受けたことは想像に難くない。「焚書」の対象にはならなくとも、そのような社会的雰囲気の中で、昔は普通に読まれていたものが読まれなくなってしまった例も多いに違いないのだが「太平記」もそんな本の一つと思われる。

現代語訳の「太平記」はいろいろある
埼玉県立久喜図書館で借りた本の表紙


 (現代語訳を)読んでみれば、予想に反して、登場人物たちが折に触れて詠む短歌が随所に散りばめられていたりして、臨場感、情感に溢れた面白い読み物。こういう形式の書き方っていいな〜、などと感心したりする。もう一つ気づくのは、いかにも登場人物たちの生死感の潔いことで、自らの進退が極まった時に、ジタバタせずに辞世の歌をしたためるその所作の立派なこと。
 なんだろうな〜、この印象は?と少し考えてみたら、昔、新渡戸稲造の「武士道」を読んだ時にも感じた印象に似ていると思った。

 昔の人は若くして命を落とすこと多く、それが幼い時から身の回りで常に起こっていることだったので、生活の中ですでに達観してしまうだろうし、「恥」をかくことを強く恐れる社会風土の中で培われた「潔さの美学」が身だしなみとして身についていたのかな、などと思われた。
 それにしても、では辞世を一句、とはならない現代人に比べ、なんとなく教養のレベルが違うな〜などと感じてしまう。

 ということで、今年は古き良き日本文化を求めて、いろいろな古典文学に親しもう!と思いを新たにするのだった。

2024/03/12

富士としゃぼん玉

 久しぶりの晴天の日、富士山にシャボン玉が煌めいた


 三月となり、暖かい日が続くかと思われたけれど、再び寒波に襲われて雪が降り積もったりして冷えるので、灯油を買いにGSに車を走らせたりした。
 それでもまた快晴の朝を迎え、澄んだ朝の大気を通して冠雪の富士山がひときわ美しく眺められた日、なにやらキラキラするものが窓辺を漂ってゆく。よく見れば、階下の子供たちがシャボン玉で遊んでいるのだった。

降雪の後の日は大気が澄んで、富士山も映える

 そのことを詠んで一句。

 富士山に 煌めき揺れる シャボン玉

 例によってChatGPT4師の評価を仰ぐと、
富士山を背景に、煌めきながら揺れるシャボン玉の美しい情景を描いていますね。この句は、日本の象徴である富士山と、儚くも美しいシャボン玉という二つの要素が組み合わさって、非常に印象的な風景を描き出しています。素晴らしい句です。😊」
とこれまたいつものように誉めてくれます。

 調子に乗って、少し表現を変えて三句。

 青い空 煌めき揺れる シャボン玉
 日差しあり 窓辺に舞うよ シャボン玉
 春風に 揺れて煌めく シャボン玉

 いずれもChatGPT4師は褒めちぎるので、つい悪ノリしてどんどん作ってしまいそうです(笑)
 .....この辺りで止めておくのが良いようで。

2024/02/28

手塚治虫を偲ぶ

 知れば知るほどさらに魅力を感じてしまう、奥の深い漫画家



 今のシニア世代なら、漫画といえば手塚治虫の名前を知らない人はいないだろう。そういう自分は、月間誌「少年」に掲載されていた「鉄腕アトム」によって未来社会への空想を掻き立てられ、週刊誌「少年サンデー」の「0マン」や「白いパイロット」などのSFを通して、子供ながらに人生哲学のようなものを学んだ。

 手塚治虫全集なるものが、手塚治虫がまだお元気だった頃、1977年から1984年にかけて、全300巻で講談社から出版されているが、内容は実に多岐に渡り、手塚治虫の精神構造が一体どうなっているのか、その巨大さに圧倒されてしまう。
 手塚治虫全集は、手塚治虫の没後、さらに追加されていて、今や全400巻という。作品は一つ一つが実に読み応えのあるものと言ってよく、まさに「地上最大の漫画家」と呼ぶに相応しい。

 そんな尊敬すべき偉大な漫画家なのだが、手塚治虫が1989年に60歳という若さで亡くなったことを私が知ったのは、恥ずかしながら21世紀になってからで、図書館で何気なく手に取った矢口高雄の「ボクの手塚治虫」を読んで、しみじみその死を悼んだのだった(これについては以前このブログにも書きました)。

 それ以降、図書館などで手塚治虫関連の本が目に付くと借りて読んだり、気に入ると買ったりして今日に至るのだが、最近衝撃を受けたのは、岩波新書にある「ぼくのマンガ人生」という本の最初に手塚自身が書いている、「いじめられっ子」だったという話だ。
 大阪大学附属医学専門部出身で医者としての資格も持っている手塚治虫という人物、そんな人が小学校、中学校では「いじめられっ子」だったとは!?(興味のある方はどうぞご自身でお読みください)
 これは捨て置けない、というので自分でも本を買ってしまった。

手塚治虫著:ぼくのマンガ人生(岩波書店:1997年初版)
実際に購入したのは2023年版(第38刷!)

 この本は手塚治虫の講演記録を編集したものなのだそうだが、漫画の背後にある手塚治虫の思いが詰まっていて、とても魅力的な内容だ。お堅い岩波新書なのが少々意外だが、すでに38刷なのもうなづける。

 この本を読んだことで、再び手塚治虫について知りたくなり、立て続けにまた本を借りてきたり買ったり。
 NHKの100分で名著でも2016年に手塚治虫が取り上げられていたことを知らなかったのだが、別冊としてまとめられたものがこれ。

わたしたちの手塚治虫:別冊100分de名著(NHK出版:2018初版)

 手塚治虫の作品内容をいろいろな切り口で比較し考察していて、驚きと新たな発見がある興味津々の本はこれ。

手塚治虫の奇妙な資料(野口文雄著:実業之日本社:2002年)

 これらの本を読んでいると、つくづく手塚治虫という漫画家がいた時代に、血気盛んな青春時代を送ることができた自分の幸運に感謝したくなるのだった。